文治元年(1185年)6月20日・・かつては平家の棟梁として清盛の死後権勢を振るった内大臣平宗盛は、自身と息子達の命の灯が明日で消えてしまうことを知った。
「清宗、怖くはないか?」
自らの死に対する恐れの裏返しか、彼はかつて正三位 右衛門督であった息子に問いかけた。
「いえ、我らがこのような目にあうということは、壇ノ浦で生け捕りとなったときから覚悟おりました。」
(・・・無理をしているな、健気なことだ)
清宗が生まれて16年、片時もそばを離れることがなかった宗盛は簡単に息子の言葉に潜む死への不安をみてとった。
「父上は・・・悔いの無い人生でございましたか?」
この息子の予想外の質問に、宗盛は若干動揺した。
「悔い・・・か・・・。亡き大相国様のご遺言を守れずわれらが一門このような状態に立ち至ったことで・・・」
清宗は父の答えをさえぎった。
「いえ、父上には何か他に悔いがあるように思われます・・・。何というか・・まるで足りないものを探しておられるような・・?」
「足りないものか・・。」
平家の棟梁として絶大な権力を誇り、武家としては初めて太政大臣にまで上り詰めた平清盛という男を父に持ち何不自由なく育ったが、摂津源氏の棟梁源頼政の嫡子仲綱から名馬を取り上げたこと、先に亡くなった兄重盛の子、維盛らに対しての冷遇など、確かに今となっては後悔するような傍若無人の振る舞いが多かった。
しかし彼は自らの行いを説明することができなかった。自らの息子や妻に対してはこれ以上無いほどの愛情を傾けながら・・一方でその他の人々に対してはただひたすらに冷たく、狭量な平家棟梁であった。
「そうかもしれぬ。むしろ私には足りぬもの、至らぬところばかりで、とても平家の棟梁などと威張れたものではなかったかもしれぬ・・。」
宗盛は息子の前で力なく微笑した。顔中が熱くなって、涙が出てくる。
「今夜はもう遅い・・休もう・・。」
涙を見られまいと寝所へ赴く宗盛。しかし清宗は父が泣いていることをすぐに見抜いた。宗盛が清宗のことを知り抜いているのと同じくらい、清宗は父のすべてを知っていたのだった。
宗盛は一人、部屋で過去を振り返っていた・・。下の弟知盛となにかと比較された幼い頃。平家が栄え一門全体の官位が上がっていくものの、人々の注目や尊敬は常に兄の重盛に集まった若い頃・・・。
「一体私には何が足りなかったのだろう?」
そのようなことを頭の中で反芻しながら、宗盛は眠りにおちていった。
ここのほかにも好きなアーティストのこと書いたブログとか、大学生活を書いたブログとか抱えてるんですw
その時期ごとによく使うブログが変わるわけですが・・。
さらに最近はmixiまで始めてしまいまして・・。
もう収拾つかなくなってるんです。
ちなみに、宗盛小説のことですが・・途中自分で書いててイタい感じがしたので一旦消しました・・。
しかし、もう一回読み返してみると「そんなでもないかな?」と思い、もう一度出来ている分だけ再掲することにします。
ちなみに、もし源平時代の文化風俗に詳しいかたいらっしゃいましたら何でもご指導をお願いいたします。
あと、「こういう人を出したら?」とか、「こういう展開に・・」というご意見もよろしくお願いいたします・・。
ちなみに・・・ですが。
私宗兵衛(角殿)がたくさん抱えちゃってにっちもさっちも行かなくなったブログたちを最後にご紹介しますw
In Only Wednesday・・テレビ神奈川で放送中の番組"sakusaku"と、イギリスのロックバンドQUEENについてのブログです。ここの更新数が一番多いです。
××(ペケペケ)学生日記・・小遣い稼ぎブログを経て現在はユニコーン(奥田民生がボーカルを担当していた)についてのブログに。
社学生の生活・・大学生活に関してのブログ。こちらも停滞気味w
その上にmixi・・これじゃ体に良いわきゃないよw
というのもですね・・私夏休みに入って実家に帰省しまして・・。
そのために生活はグダグダですよ、グダグダ。
朝から晩までずーっとゲーム三昧(今更ドラクエ7・・)暇なら歴史小説のひとつも読めっていう感じなんですが・・一応「毛利元就上・中・下」とかは読みましたけど、それ以外はもうずーっとゲームしてすごしてました・・。
どうせゲームやるなら信長の野望とかにすればネタになったのに・・。
というわけで、今後は改心して宗盛小説のほうもちょっとずつアップしてまいりたいと思っております。
だって一応源平のマンガをお書きなっているサイトさんからリンクいただいてるもの・・・。
ちなみに、あと数日で東京へ戻りますが、夏休みはもう一ヶ月続きます(どうなってんだよウチの大学)
さて、4年前に利家とまつにおいて利家を演じた唐沢寿明さんが「功名が辻」において再び利家を演じるそうですよ・・。懐かしいなぁ・・。